社員研修感想文2

2020年11月 2泊3日社員研修

日常を丁寧に生きる

◆寺の修行体験
読経、座禅、写経、作務行、食事、読経、座禅、睡眠、読経、座禅、食事、写経、作務行、食事、みたいなサイクルで修行は進みます。 特に私の印象に残っているのは「食事」と「作務行」です。食事は誰もが日常的に行っているもの、作務行は日常的な農作業や掃除などを修行と捉えるもので。 これも日常的な活動の一環。 日常的にやっているものだからこそ、特に印象に残りました。

1. 精神的な修行
今回、寺修行に参加して精神面の修行をする事ができたと感じている。 常日頃から私はマイナス思考の塊りであり、普段生活している中でもドン底のマイナス思考に陥る 事が多々ある。どうにか思考を変えたい、克服したいと思っていてもそのすべが分からないまま、 何も改善できず、変わらずにここまできてしまっていた気がしていたが、その事を踏まえて、今回 の寺修行では精神の修行ができたと感じた。

座禅・瞑想をする前に住職が話ししていた事は「頭の中を空っぽにして過去の人生を振り返る事と、 過去の誤ちに対して懺悔をする事」という言葉。
その言葉を聞いて座禅、瞑想をしていると、私の頭の中にはマイナスな事が次々と浮かんできた。  「あの時こうしてれば」とか、「なんであんな事言ったのだろう」とか、「上司、先輩から言われた ことが全然できてないな」など、仕事、プライベート含めて様々なマイナスな要素が言霊として頭 の中で飛び交っていた。もう一つ、住職がお話しした「過去の行いという原因が、現在という結果 になっている」という言葉。その言葉を通してもう一度、座禅・瞑想を行い自問自答した事で、今 までの行いの中にはマイナス思考の要素を含めてしまっていた原因もあると感じ、今度はプラス思 考に変えるためにはどうしたら良いのか、考える事ができた気がした。
なにかに行き詰まった時は時間を取ってゆっくりと人生を振り返り懺悔する事と、本質を考えポジ ティブにもっていく思考は大切にしないといけないという事を、住職に教わった。 なぜ生きていくのかをじっくり考え、生きていくための活力を生み出し、生きていることの幸せを 噛み締めていく事を実感する大切さ、自身の生き方を見直す機会を日々必要だと感じた。精神的な 修行はこれからも日頃続いていかなければならないと。自分を律して生きていきたいと思うことが できた精神面の修行として貴重な時間を得ることができた。

2. 一つの事に集中する。
「お寺周りの雑草を取る」この修行は一つの事に集中する事を養う良い時間であった。 一箇所を決め、そこを綺麗にするという事だけに集中する。他の事は何も考えない。ひたすら雑草 を取る。約1時間、無言で雑草とひたすら向き合う。こんなに雑草と向き合っだのは初めてかもし れない。この雑草はこんな形をしていたのかと、じっくり見てしまうくらい没頭していた。集中す ることというのはこの事なのかとさえ感じる。一箇所の雑草が全て取れ、綺麗になったと思ったと き、心身共にリフレッシュした気持ちとなり、気持ちが良かった。一つの事を考える。それだけに 集中する時間を設けて、何かをすることは大切だと感じた。

最後に、 2泊3日の修行を通して、心身を整える事ができたと感じている。 自身を見つめ直すとても良い機会を得る事ができてよかった。

縁を点から線へ

2泊3日。テレビやスマホなどで情報が飛び交う普段の生活から離れ、読経、座禅、写経など日常 では行うことのない体験をできた貴重な機会だった。

読経、座禅、写経
無になる時間がこんなに続いたのは初めてだったのではないだろうか。読経では、普段お葬式や法 事でしか触れることのないお経を30分程、唱えて自分自身に読み聞かせる。その間、頭の中は唱 えることに集中しているので、無の状態になっていた。 座禅は、鼻から目一杯に空気を吸い、3秒止めてからゆっくりと囗から吐き出していく。最初はこ の呼吸法の意識で頭が一杯になるが、次第に呼吸法にも慣れて、周りの音や匂いに意識が向く。鳥 や猫の鳴き声、車のエンジン音、お線香の匂いを感じてはすぐに頭から消えていく。やがてその周 りの音なども感じなくなり、無の時間が訪れる。時間にしてみれば30分だが、1時間とも2時間と も感じられるぐらい、ゆっくりと時間か流れていた。 写経は目の前の経文を写すことに集中する。パソコンやスマホで簡単に文字を打てる現代において、 一字一字書くというのは文字と向き合う良い時間だった。書き終えた時、不思議とすっきりとした 気持ちになれた。
時間にしてみれば30分から1時間ぐらいのことが、どれもそれ以上の時間に感じられ、普段どれ だけ自分が忙しなく過ごしているのか実感ができた。


今回の研修で最も考えさせられたのはこの言葉かもしれない。仕事の縁、人との縁、結果の縁と色々 な縁がある。今の仕事に就いたのも縁で、そこで出会った人達や関わった人たちとの縁、そして私 か行動したことによって起きた結果も縁。物事に意味のないことなどなくて、研修で行った作務行 の草むしりにも必ず意味がある。今はその縁が点でしかなくても、いつか他の縁と繋がり線になる ときが来る。―つーつの縁を大事にしていかなければと思うのと同時に、今は点でしかない縁を線 にしていく為に、想像して行動をおこさなければいけないとも感じた。この意識を忘れてはいけな い。

学ぶ(考える)ことが多かった今回の研修。ここから学んだ意識と姿勢は今後の自分への財産にな るはずだ。

食べて、学んで、散歩して

帰宅する小学生を横目に、夕暮れの千葉のお寺で草むしりをしている自分を不思議に思った。想像 もしていなかったことをやると違和感があるが、その違和感は最初だけで徐々に慣れてくる。これ が毎日となると当たり前のことになり、やらないと落ち着かなくなるのだろうか。

◆食
精進料理は味気ないものと勝手なイメージがあったが、全く違った。肉や魚類のない中で野菜を中 心とした素朴な食材と味付けであるものの、美味しかった。昼食と夕食は遠慮なく、ご飯とおかず をおかわりした。料理をしてくださった方にお話しを聞くと、「食材に制限があるからこそ、今が旬 なものを取り入れている」とのこと。ない中でも少しの工夫で色々と印象は変わるものだなと印象 に残った。ご住職日く「旬なものを意識することで季節の移り変わりを感じ、生活や心にゆとりを 持てる」。梅や桜の開花など分かりやすいものもあれば、野菜、魚など食材も細かく知ることで、よ り豊かな生活ができると思えた。

◆釈迦と輪廻
課題として「釈迦」に関する本を読み、要約して皆に発表した。釈迦の生い立ちや奇跡的な出来事 や壮絶な修行の数々を乗り越え、悟りをひらいて仏陀となったなど大筋をまとめた。とりわけ、キ ーワードとなる「輪廻」について多くを考えさせられた。この考えがベースにあるからこそ、仏教 はひとつとなっていると思えたし、この考えにたどり着いたのは大発見だったと感じた。

◆散歩
お寺の周辺をご住職と散歩。イ可気ない散歩でだからこそ、リラックスして色んなことをお話するこ とができた。ご住職がなぜその職についた、とか生い立ちなど。柔和な表情と落ち着いた物腰で語 られる言葉一つ一つが丁寧であり、圧倒される雰囲気があった。長年の修行はもちろん、いろんな 経験やいろんな人との会話をしてきたからこそなのだろう。

何故今ここにいるのか、何でこれをしているのか、「会社の研修で来たから言われたことをやった」 というのが国語的な正解。但し、今ここにいることが単なる偶然でなく、必然なことだったと想像 するとすごく感慨深い。今後の人生でこの経験は大いに役立つだろう。

スマホのない生活

普段スマホがあれば、ある程度のことがほとんど出来てしまう。そんな生活に何十年どっぷりと浸 かりきってしまっている私か、スマホのない生活にどこまで耐えられるのか興味があった。

■感謝の気持ちを持つ
座禅・読経・写経・説法だけでなく、作務といわれる掃除や食事も何―つとっても修行だというこ と。普段の生活のなかで何不自由なく過ごせているのは、自分以外の誰かがやってくれているとい うこと。
例えば、いつもきれいなトイレや温かい食事が常にあることに感謝しなければいけない。作務や食 事の修行の中で、改めてそういったことを感じてほしいと住職からお話をいただいた。食事の際に は、食事五観文という食事の五つの誓いを読んで食事を始める。「料理を作っていただいた方だけ ではなく、料理の素材を作っていただいた方々、天地自然の恩恵への感謝をもって食すこと。人格 の完成、自分への務め成し遂げるためのに食すこと。食べ物に対しての不平不満、飲みすぎ食べ過 ぎの貧る心を起こさず食すこと。心身の枯死を免れる良薬と思って食すこと。反省と感謝の気持ち を持ち新たな誓いを心に持ち食すこと。」食事は心の修行だということを教わった。
真つ先に頭に浮かんだのは妻。分かっていながら当たり前のようになっていた自分を反省し、改め て妻への感謝の思いが強くなった。

■思考停止する瞬間
座禅・読経・写経を体験して、そのなかでも私か一番興味を持っだのは座禅だった。 小学校の修学旅行以来の座禅体験だったが、座禅がこれほど無になれるものだと改めて思えたのは 驚いた。鼻から息を吸い、囗からゆっくりと吐き出し呼吸を整えながら、気持ちを落ち着かせてい く。そして、目を閉じて気持ちが落ち着きしばらくすれば、外で鳴く鳥の声やお寺に出入りする車 の音、住職が歩く足音など小さな音にも敏感になるほどだった。
そして更には時々、寝てしまったのかと自分で疑ってしまうほど、頭の中が思考停止する瞬間が幾 度かあった。これが無の境地かと思った。無心になれたことで、座禅を終えた後は頭と気持ちがリ セットされたようなすっきりとした気持ちになった。座禅は普段の生活のなかでも行えることなの で、気持ちを一度リセットしたい時や頭をすっきりさせたい時には行いたいと思う。
2泊3日だったがその間、一切スマホの必要性を感じなかった。貴重な体験が出来、またその中で 改めて自分自身と向き合える時間となった。

仏様の前で正しい姿勢で座禅を組み「無」となる。 お寺での修行で瞑想体験をした。
初めての座禅では、足の痺れに耐えながらも見様見真似で姿勢を作り、約30分間無心になろうと意識した。 頭の中がスッキリした気がして気持ちが良かった。 その後も休憩を挟み、1日に2~3回程座禅を組みに本堂へ行った。 3日も経てば足の痺れにも随分慣れていき、30分くらいの瞑想ならコントロール出来るようになっていた気 がした。

しかし、最後の瞑想は格が違かった。 2時間の座禅と「無」。 この時間は自分の成長を強く感じ、3日間の中で最も印象に残った。
座禅が終わった時、 何処までが「無」なのか という疑問がハッキリと分かった。
初めの20分は無心になろうという意識で頭が埋まっていた。
次の10分くらいで、風の音や小鳥の鳴き声はこんなに綺麗なのかと感じた時間があった。
「無にならなければいけない。」
とふと我に返り、また無心になろうとするが足の痛みが気になり体勢を崩そうかと迷った時もあった。なんとか我慢して頭の中を空にしようと思いじっとしていると、何故か知らない記憶が次々と思い浮かんで きた。

それは家族で大きな草原に立って笑ってる画や誰かと喧嘩している画、悪事を働いている自分、時には誰か に感謝されている自分だった。 およそ10分くらいだっただろうか? その後の記憶は全く無い。
何故喧嘩をしていたのか? 何故感謝されていたのか? 記憶は曖昧だが、それは自分のしてきた行いからの画を見せられたように感じた。
その後の記憶が無いのは、自分の中にある邪心を追い払い、「無の中の無」に入り込めたという事なのだろ うか? 答えを求めるのは違う気がするのでここまでで自分の中にしまっておこうと思う。 ただ確実に言えるのはあの時だけが本当の「無」になれた時間だった。

この2時間の座禅が終わったときには頭が空っぽになり、修行で学んできたテーマの「恩・己」が、自分の 中で新たに芽生えたような気がした。

頭忙閑・体動静(お寺で、そのあとに考えたこと)

お寺の生活は完成されている。と寺にいるときに思った。 お寺から離れたときに感じた感覚は、ディズニーランドからの帰り道に近い。 非日常から現実の生活へ、一抹の寂しさとともに。
完成されている、といってもお寺の生活を受ける側だからであって、自分が主体になったときはま た別の話である。 憧れでその世界に入っても現実は違う。お寺の運営だって商売なのだから。批判をしたいわけでは ない。 ビジネスマンでありながら教育者でもある大変かつやりがいのある仕事だと思った。

今回の2泊3日の体験中は目の前のことをひとつひとつ集中して、あるときは集中出来ずに取り組 んだ。それそれが何の意味を持つのか、その場で答えや方針は出なくても良いやと思っていた。
体験生活の中で決めたことは ・坐禅・ラジオ体操は生活に取り入れたい ・宗教から見た歴史は面白そうだから、それ関係の本を読んでみようか ということくらい 。

帰ってから、お寺の生活を抽象化していかに生活に取り込むか、を考えてみた。 今の時点で、お寺の生活は、心と体のバランスを取るための行動が多いと思った。 マトリクス図で言う縦軸の上下に動と静、 横軸に体と心。と思つだのだが、何か違う。
縦軸が体、上下に動・静 、横軸に頭、左右に忙・閑 がしっくりくる。 この図をバランスよく生活に取り込むと心が安定するのだろう。

お寺の生活では
(頭:忙、体:動)散歩・掃除
(頭:閑、体:動)ラジオ体操・掃除
(頭:忙、体:静)坐禅
(頭:閑、体:静)坐禅・写経・お茶

のような形で割振れた。
上記で坐禅・掃除が 2 箇所にあるのは、取り組む姿勢で変わるため。重要なのは、今何をしているのか。今日何をしたのかということを意識するということだと思う。

さて、自らの日常生活に取り込むとなると、以下のようになる。
(頭:多、体:多)リングフィットアドベンチャー・散歩・自転車
(頭:少、体:多)ラジオ体操(追加)・掃除
(頭:多、体:少)仕事・読書・ボードゲーム・バイクでのドライブ・坐禅(追加)・英語でテレビゲーム
(頭:小、体:少)献血・坐禅(追加)・長風呂・車でのドライブ・ティータイム
なんだか色々すっきり整理できた気がする。定期的にこれを見直せば、心は安穏を保てるだろう

そして、これを日記の形にしたら売れるのではないかと思った。 毎日、マトリクス図に今日の行動を埋めていく。週に一回見直すだけで偏りを把握できる。
「住職オススメのマインドフルネス日記」 手帳会社に提案書でも送ってみるか。いや、アプリか? 住職のキャラクターから、頭でっかちになっとるぞ。坐禅しとるか?とか通知が来るのもいい。

ホームへ  前ページへ